”自分のアタマで考えよう 知識にだまされない思考の技術”を読んで

こんにちは、えなつあぜ です。

 今日は、最近読んだ本のアウトプットです。

インプットしたらアウトプットして頭に定着させる、ということを習慣化していきたい。。。

 

今回読んだのは、ちきりんさんの書籍。

 「自分のアタマで考えよう 知識にだまされない思考の技術」

 

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いつものことながら、ちきりんさんの書籍は、サクサク読めてしまいます。

ユーモアを交えつつ、要点がまとまっていて、独自の思考に興味を惹かれながら読んでいると、あっという間に終わってしまいます。

本作も身近な事例を挙げつつ、「考えるということ」「考え方」が述べられています。

私は悪い事例にことごとく当てはまり、いかにちゃんと考えられていないかを身につまされました。

 

それでは、特に印象に残ったところをまとめていきたいと思います。

 

まずは、「知っている」と「考える」ことは別物であること。

ここでは、プロ野球のファン年齢層の遷移が事例として挙げられていました。

そのグラフを見たときに、将来どうなると考えるか。

詳しい人は、ついつい、自分が持っている知識で思考を補完してしまい、悲観的な結論。

プロ野球のファンの傾向はこうだから、将来こうなるだろう)

一方で、プロ野球に詳しくない人がグラフを見て考えると、詳しい人と真逆の結論が導かれる。

私はというと、圧倒的に前者です。

早く答えを出そう、考えるのが面倒くさいという傾向があり、知識から紐づけしてしまっているなと実感しました。

思考を邪魔する可能性もある知識。

使いどころを間違えないこと、思考のプロセスのどこで使うかを意識しなければと思いました。

 

その他、MECE、タテヨコでの比較、情報のレベルを揃えること、データをとことん突き詰めること、などなど。

 

そして、考えるちからを身につけるには、考える時間を増やす必要があること。

至極全うで、練習なしには上達しません。

一日の自分の仕事を分解して、考える時間がどれだけあるかを見てみると、その少なさに驚きます。

振り返ってみると、それもそうだなと思うばかり。

上司に任された仕事は、長短あれど大抵納期があります。

例えば、資料作成。

短い納期のなかで確実に仕上げるために、工程のどの時間を削るかといえば、考える時間でした。

これでは、いつまでたっても自分の頭で考えず、成長しないなと思いました。

あるべきは、作業の工程を効率化して、考える時間をしっかりと確保すること、と今後意識したいなと思います。

 

終章として、知識を思考の棚に整理することが述べられていました。

事例としては、世界的にインパクトのある災害が起きた時の3か国の報道スタイルが挙げられていました。

この場合に、この国はこんな風に(現場がパニックする様を流すのか、事件の背景を議論するのか、自国民の安否を報道するのか)報道していた、そこから考えられることは何か、次にどんな事象が明確になればそれを根拠づけられるのか、などを考えておき、思考の棚として整理しておくとのことです。

しっかり考えたことは記憶に強く残ると共に、必要な情報が得られたときに、思考の棚に当てはめて結論づけることもできれば、気の利いた話もできると。

 

この機会に、考える時間を意識して、考えることの習慣化、考える力の強化を進めていき、独自の視点をもつことができるようになればと考えています。